地獄の獣よ狂気の無垢を

タイトルは仰々しいけど、何となしに日々の雑感をダダ漏れ中です。

将来は女優に、というメンタリティ

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よくAKBの人たちが「将来の夢は女優です」「ゆくゆくはみんなから愛されるタレントになりたい」「○○のような歌手になりたいです」と言っているのを聞くたびに、そんなこと言わないで欲しいと思ってしまう。
今のアイドルという立場は単なる腰掛け、というか未来に対して名前を売っているだけなのか、と疑ってしまうからだ。
もちろんファンの人は自分が応援するアイドルの夢が叶うことを望んでいると思うが、それにしたって今やってるアイドル活動が軽くなってしまわないんだろうか。

アイドルから女優へ、という転身自体は昔からあったし特別やましいことではないけど、アイドルが徐々に活動の幅を広げていく過程というのは、もっと偶発的でセオリーみたいなものはなかった。
いつぐらいからアイドルそれ自体がプロセスになったんだろう。

例えば松田聖子中森明菜はずっと歌手というポジションのままだったし、酒井法子菅野美穂はアイドルからゆっくりゆっくりと女優というポジションを獲得していき、多分ふたりとも「将来の夢は女優です」とは言わなかったように思う。アイドルはある程度の年齢がくるまで本人がアイドルとして活動していく賞味期限に疑問を感じながらも、アイドルはアイドルのままだった。
AKBの人たちが「将来は〜」と言うのは、アイドルから○○へという過去のテンプレが数々あるからだろう。

それにしても、だ。
アイドルとして活躍しているにもかかわらず、将来の理想の姿を語る姿を見ると、アイドルをアイドルとして全うしているように思えないんだな、どうにも。

ここ最近のアイドルでは定番となった自己紹介のアレ、あの口上。
はーい、元気が一番、元気が取り柄なメンバー随一の元気印、○○でーす!っていうあの自己紹介。ちょっと前のアイドルはああいうのまったくやってなかった。あれって昔のアイドルっていうイメージをメタ的な視点でなぞらえた、いわゆるメイド文化・ローカルアイドル勃興以降のもんだと思う。アイドルじゃない人がアイドルをパロディにして生まれたものでしょ。批評的と言ってもいいと思うけど。
モーニング娘。の隆盛で(それ以前のspeedの人気も少なからず関連してると思うが)、これまでになかったアイドルってものの価値の再発見と再解釈がなされ、それをベースにAKBやnegiccoperfumeなんかがあると思う。

今現在のアイドルにとってアイドルっていうのはメタフィクション的な要素が強いんだと思われる。AKBの場合、特にそれが顕著なんではないか、と。
だって他のももクロとかperfumeとか、将来は女優へとは言わなさそうじゃないですか。
AKBは「ここではない、どこかへ」的なもんだいの中を生きていて、ももクロなどは「今、ここ」的なもんだいの中を生きている、のかもしれない。