地獄の獣よ狂気の無垢を

タイトルは仰々しいけど、何となしに日々の雑感をダダ漏れ中です。

健康的で病的なミッキーマウス

子供の頃からミッキーマウスがどうも好きになれなかった。
大人になった今でも、好感が湧かない。
ディズニーランドも一度行ったが、元来ミッキーやディズニーキャラクターに愛着がないので「ああ、なんかいるな」くらいにしか思わなかった。

女子高生なんかは必ずと言っていいくらい、カバンとかにディズニーキャラクターをぶら下げている。
あれがどうも解せない。
本当にカワイイと思っているのかな。

ディズニーストアなんかに行くと女の子が「かわいー」「みてみて、これも欲しー」と連呼している。
いやまったく本当に不思議。

ミッキーマウスに惹かれない理由は自分でもよくわからない。単純に好き嫌いの問題だと思うが、見ていて引っかかるものが何もないからだと思う。
例えばキャラクターでいえば僕はチェブラーシカとかが好きなのだが、チェブラーシカは見ていて“寂しさ”だったり“実存的”であったりと、通底したある暗さがある。ストーリー自体も共産圏独特の侘びしさだったり、非装飾的なというかポップの欠片もないあのどんよりとした映像も惹かれる要因のひとつだ。

ミッキーの場合、ポップなんだけどそこにワビサビみたいなものがない。歴史を持たない国アメリカを体現しているかのような印象すらある。
思えばアメリカ自体が病的な明るさを持っていると言えなくもない。
例えばアメリカのエロ本、あれにアメリカそのものが映しだされていると思うんだけど、よくあるアメリカのエログラビアのシチュエーションでこういうのがある。
『燦々と降り注ぐ太陽。見渡す限りの真っ青な青空のもと、公園で白人女性が全裸で犬の散歩』
これが僕にとってのアメリカ。
僕の中ではミッキーマウスもこのライン上にいる。