地獄の獣よ狂気の無垢を

タイトルは仰々しいけど、何となしに日々の雑感をダダ漏れ中です。

もはや萌え絵がスタンダード

90年台初期、美術評論家の椹木野衣氏は村上龍氏との対話の中で(対談集「神は細部に宿る」)、同人誌の売上が商業誌のそれを抜く日が来るかもしれない、とコミケの隆盛の煽りを受け語った記憶があります。
その時感じたのが、蛇が自分の尾を噛むように、いつかおたく文化がマスに浸透しファッションやハイカルチャーの分野まで侵食する時代がくるのかもしれない、ということでした。

実際、当時テクノ音楽にハマっていた僕は、その実感をすでに肌で感じていました。
というのも、ロックやヒップホップのような際立ったスタイルカルチャーを持っていなかったテクノでしたが、当時のテクノ文化の表層にはマンガ・アニメ・ゲームというカルチャーが色濃く漂っていました。

またテクノ系のクラブイベントに足繁く通う人たちの多くは、どちらかと言うとクラスの中間層〜底辺寄りという人たちばかりで、語られる話題といえば、まさにマンガ、アニメ、ゲーム、テクノといったタグ付けができるほどでした。(これには多分に電気グルーヴのオールナイトニッポンの影響というのも関係してくるのですが、その話題はまた次の機会に)

オシャレでスクールカースト的に上位に位置する人たちが集う場所であるはずのクラブに、アニメのTシャツや平凡極まりないファッションとルックス、一切ナンパもできないような男たちが集まり、同人誌やミニコミの類を持ち寄りヤバイねこれは、みたいな話をしたり、女子はパーフリ筋少が好きな電気のファンで、これでもかと言わんばかりのサブカル色の強い子ばかり。それ以外は学校の中の奇人変人が枚挙した当時のテクノカルチャー。ヒップホップはもちろん、ソウル、アシッドジャズ系やのイベント客とは全く質が違う、というか異様な光景が繰り広げられていました。
とにかく熱かった90年台中期。セカンド・サマー・オブ・ラブによって咲いた花は、ここ日本でテラテラと濡れ光る食虫植物のような、いびつだけど得も言われぬ魅力が溢れる花が咲いたのでした。

当時、渋谷のパルコに「COSPA」が入っており、ガンダムやエヴァ、ソニックやパラッパラッパーなどのキャラや原作にも基づいた服が売られていました。それを見るたび、ヲタカルチャーがモテカルチャーになる日も近いのではないか、と胸踊らせていたものです。

今現在、言わずもがなですが、おたく文化が産んだ萌えは社会全体に深く浸透しています。ギャルやキャバ嬢でさえも、アニメ好きであることや自らモノノフであることを公言しても違和感がまったくないような時代になりました。

メイドという概念も不思議がられず、気持ち悪がられず、前置きの説明不要で話が通じる世の中です。

そんな時代を経て現代に生きる僕ですが、こないだ本屋にて違和感を感じる光景を目の当たりにしました。
昔からあるキューリー夫人やナイチンゲールなど子供向けの偉人伝記本ってありますよね。あれ系の本の表紙というと、昔は写真に近い絵というか写実的なタッチの偉人の姿が描かれていたものですが、その偉人の姿がいわゆる萌え絵タッチ(またはV系美少年風)に描かれていたのです。
「これは…何か違うような…」という思いを残し本屋をあとにしたのですが、とはいえ今の子供向けのアニメを見ても、プリキュアも萌え絵だしそっちの方が今の子供にスンナリしっくりくるのかもしれない。
世代ではないが、劇画が出てきて世の中に浸透してきた70年代頃も、大人たちにそんな違和感を持たれたのかもしれない。
そう考えて、これは自然な流れなのかもしれないのだ、と自分に言い聞かせ納得しましたが、実際の顔とかけ離れた柔和で従順そうな美少女キャラのアンネ・フランクとか、有閑マダム風なココ・シャネル、美人すぎる与謝野晶子、まっすぐ屈折なく心身ともに健康に育ったような顔をした宮沢賢治、イケメン老人だけど何のためらいもなく人を殺められそうな松尾芭蕉などなど、どうも本人のイメージを覆しているように思えるのだが…これいかに。

でもガンジーキング牧師はマンガっぽいながらもデフォルメの少ない顔で描かれていました。
非暴力や黒人差別に生涯を捧げたような人たちは、さすがに萌え絵ではヤバイ、という出版社側の配慮なのか。

いずれにせよ、萌え絵がここまで来たのか、と考えさせられる事例でした。